- 1.14 声 明 -

仮設解消=復興宣言は、想像的だ?!

・・・ 仮設最後の住人として仮設から出るに当たって ・・・




昨秋、ある震災番組での一コマ。
台湾大地震の激震地に取材のテレビ局のグループが、台湾・李登輝総統を認め、呼びかける。
「李登輝総統、神戸から来ました」
「神戸? 神戸より復興が早いだろう。こんな熱心な村長がいるからなあ!」と、李登輝総統は横の男性を指しながら答える。
そのTVを見た仮設住居者は、高笑い、
「丸5年も来ようとしているのに、まだ仮設住まい、この県にはほんま、ろくな県知事も市長もいないもんな、アッハハ!」




 阪神・淡路大震災から丸5年が来ようとしています。6000人余りの人命と多数のケガ人を生んだ敗戦後社会最大の天変地異は、今もなお被災者に多くの苦難を余儀なくさせています。これまで被災者は、<身内の死><住居の損壊><肉体精神的な後遺症><避難所、仮設住居といった流浪生活>などの経験を背負いながら、生活基盤の回復に務めてきました。

 この都市直下型の大地震は、言いかえれば資本主義国家直下型の災害であった訳ですが、金の論理につらぬかれた都市において「食糧」「水」「電気」など、最低権利、生命の維持に必要なものは「金」によってしか手に入れられないところで起こりました。当初政府は「日本は私有財産制の国であるから、個人補償はできない」と、被災者への公的支援を突っぱねてきました。
 この言葉は「日本では金がない者は生きていく権利がない」と、財産を失った被災者に死刑宣告を行ったと同じでした。
 仮設で200人以上の人が孤独死、自殺をとげた原因の一つに家計の窮迫。明日の生活ビジョンが持てなくてアルコールに走り、亡くなられた方も多かったのですが、溺れている者を認めながら、それを見過ごすことは犯罪である。国において、まさに国家そのものがそのことを平然とやってのけたのです。

 生活者は有無を言わされずに様々な形で税金を強要されている訳ですが、それが再び社会に還元されるとき、何に用いられるかによって、その国の精神性の高さを計ることができると思います。恥ずかしいかな、この日本では、バブル経済時アブク銭をバクチ(投機)に明け暮れ、破綻した銀行に惜しげもなく税金をつぎ込みながら、天変地異で生活が困窮した被災者に冷淡な態度で接してきました。

 実際国は、被災地に多額な支援を行ったと言っていますが、それは人間ではなく、産業社会の機能回復を最優先させたことは周知のことです。

 公的支援の市民運動の盛り上がりの中、「被災者自立支援金」が付帯決議に基づいて, 98年春には施行されることとなりましたが、経済大国を誇る割には諸外国に比べてあまりにも貧相すぎる内容でしたが、それをもっとも必要とした仮設住居者に対しては支給しないと断言した行政の非情さには、身が凍る思いがしたものです。

 2000年を迎え、この1月17日には大震災から丸5年を数え、法的措置の期限切れとも重なり、行政は最後の明石市仮設住居者の引っ越しをもって、仮設解消=復興宣言がなされんとしていることを危惧せざるを得ません。
 そのことは最後の仮設住居者に対しての執拗な訪問=追い立てがなされ、復興局・畑部長が、建築半ばの家を12月31日までに入れるように県がお手伝いさせてもらいましょうと、闇取引まがいの発言がなされたことからも、何が何でも2000年年頭に復興宣言をしたかったことが察せられます。
 また公的支援を求める私たちには、クサイものにはふたを式の少数・特定な被災者に対しての救済ではなく、不特定多数の被災者に公明正大な措置を講ずることを求めています。それは例えば「被災者生活再建支援法」の見直しの期限を早め、内容の拡充を国に要望するといった方法があるのではないか。ところが貝原知事は被災者の願いに反して、まるで震災がすでに過去のものであるかのような、メモリアルセンター建設の構想をして国に多額の金を引き出しています。
 ハコ物には中央に陳情に行きながら、これまで多額の借金をして復興せんとしてきた多くの被災者のためにその重荷が降りるような措置を講じることを政府に働きかけないことに憤りを感じます。知事がよく口にする創造的復興が、想像的復興の誤字であることを改めて認識していただけることを、切に要望したいものです。もっとも不幸をこうむっているのは、私たち被災者であるから・・・。


2000年 世紀末 1月14日

森 山 正 憲

‐無断転用を禁ず‐



 これは、今年(2000年)1月14日に「仮設最後の住人が退去、仮設解消へ」などと報道されたその当事者、森山正憲さんによって、当日のために書かれた声明文です。
 
 明石市内にあった森山さんの家は、震災で全壊、その後、ご両親が相次いで亡くなられました。
 一人で明石市内の仮設住宅に入居した森山さんは、文字どおり自力での家の再建を決めました。知人の大工さんのアドバイスを受けながら、自分で設計図を引き、建材を入手し、建設工事を始めたのです。
 時間はかかりましたが、工事は進み、2000年の1月か2月には引っ越しできるだろうというメドが立っていました。しかし、1999年の年末を控えて、年内仮設解消を目指す行政からの「仮設退去」を求める訪問が、目に見えて増えたと言います。いわく「カラスが鳴かない日はあっても、行政が来ない日はない」。
 
 仮設解消は被災者復興の証ではない、再建した自宅に戻ったからと言って、何が変わるわけではなく、自分にとっては「6年目の被災者生活」が始まるだけの話だと、森山さんは言います。

 ちなみにこれは、当日、詰めかけた20社ほどにものぼるマスコミ各社の前で、森山さんご本人により読み上げられました。




このページのトップ   「今、神戸で」目次   「上筒井から 6」目次