「上筒井から」Vol.5(Nov. 1999)

震災復興委員会活動報告

わいわいランチ(給食サービス) - 夜回り準備会 - 仮設居住者実態調査の会


わいわいランチ(給食サービス)

 ドアが開かれ、笑顔に迎えられる。「楽しみに待ってました。ありがとう。」

 高齢者、お身体の不自由な方々への配食サービスを今年3月から火曜日お手伝いさせていただいている。現在、「HAT神戸」4軒、他に3軒。マニュアルに添い、その日の伝達事項を確かめ午前10時30分頃から仕事にとりかかる。

 お弁当詰めを11時10分頃開始、小さなメッセージを添え、12時30分頃には、すべてのお宅に暖かい昼食を配食し終えたいのである。その間約1時間と少々。幾人かと車に乗り込みいざ出発。まずは「HAT神戸」。「HAT神戸」は平成5年神戸市東部臨海土地利用として立案され、震災を経て、平成8年着工された。地積74.7ヘクタールに及ぶ計画である。我々はその内の「灘の浜」とよばれる6ヘクタール程の地域に伺っている。敷地には、高層住宅、生活利便施設、そして特別養護老人支援センター等が点在している。敷地内への部外者乗り入れ禁止との事とて、以前は外辺をぐるりと巡りながら1棟1戸づつお配りしていたが、最近は4軒分をひっさげ棟から棟へ、エレベータを上へ下へと内部を小走りでお届けしている。しかしなんとも広大な敷地なのである。建物は見えていてもなかなか行き着かぬのだ。美しく無駄なく整備された高層住宅は、お一人暮らしの高齢の方にほんとうに優しい環境なのかなーと、フト思ってしまう。ひと汗走り回った後、さて、あと幾軒かの方々にお届けが残っている。皆さんドアのチャイムを今か今かと待っておられるだろう。

 食事は人の心を和ませるもの。人の心を暖かさで満たすもの。愛が想はれるもの。

 今日も何とか時間内にお届けする事ができました。

 ぬくぬく手作りのYWCA弁当。さあ、皆さん召し上がれ。


(松)
  わいわいランチ


夜回り準備会(仮称)

 寒い冬の到来を感じさせる季節となり、このシーズンになると年末の越年活動(神戸の冬を支える会)の事を思い出す。

 約70名のボランティアが集まり、”一人一杯ずつにしてや”と300名を越える路上生活をしている方に炊き出しを振る舞う。「おじさん今日もめちゃさむいな。体壊さんよう気を付けてな」と元気良く声を掛けるものの、ふと寂しくなるときがある。

 普段、私たちの生活の中では冷暖房でコントロールされた場所が当たり前のようになっている。また一日中野外に出ていることなどほとんどない。活動が終わると私には帰る場所も温かい食べ物も、温かいベッドも用意されている。ボランティア活動とはいっても、活動が終わるといつもと何ら変わりない生活に戻るのである。数日、数ヶ月あるいは数年間路上で生活などとても考えられない。そんな中で生活している人たちの厳しさを理解することなど到底出来るはずもなく、また心のどこかに「俺は路上で生活する事などないだろう」と思っている自分がいる。4年間夜回りをしてもやはりまだ当事者と同じ視点に立っていないと感じることが多い。

 昨今この厳しい不況の中、夜回りでは日に日に新しい顔ぶれと出会う。その誰もが「まさか自分が路上で生活するなんて…」と思っている筈である。暖冬とはいえそうした人にとっては今年の冬は初めて外で過ごす相当厳しい冬であるに違いない。自然環境はその時々で全く異なり、初めての方はいったい何を用意するべきなのか、この冬をどう乗り切ればいいのか手段も分からなければそのために必要な物も持ち合わせていない。そういった状況の方々に今年の冬は大勢出会うことになりそうである。しかし、たった月二回の活動。本当に必要とするときに私たちがいないことが圧倒的に多い。夜回りと夜回りの間の2週間に事件や事故、重病にかかったりする事がよくある。昨年の冬も私たちが訪問している先で亡くなった方がいた。こんな場面に出くわすと、やっている事に自信が無くなる。

 冬は私たちにとっても非常に厳しい季節なのです。今年は誰も命を落とさずに冬を乗り切っていけたらとせつに祈っています。今年も12月28日から越年越冬プログラムがあります。少しでも多くの方々の参加をお持ちしています(ちなみにYWCAの炊き出しは1月2日(日)に行います)。また、参加できない方もカイロや毛布などを送って下さると非常に助かります。ちょっとみなさんの心に留めて下さい。


(理)
  夜回り準備会


仮設居住者実態調査の会

 仮設居住者実態調査の会では、行政の言う3月31日の仮設供用期限を過ぎてからも仮設に住まざるを得ない人、とりわけまだ住宅のメドのたたない人に焦点をあてて活動を続けていた。6月末の仮設移行措置期限を迎え、会に連なる人の中にも、まだ数人が仮設から出られずに残されていた。「いまなお先のメドのない人を仮設全体で支えていこう」という合い言葉のもと、行政交渉もふくめたサポート体制を組んだ。こうして「仮設住民連帯の集い」につながった人については、7月初旬にはほぼ住宅のメドはたった。また、「あと少しで住宅が完成するので、それまで仮設で待ちたい」という人にもあったが、顔と顔が見える支え合いの関係があることで、孤立せずに仮設に住み続けられたのではないかと思う。

 もし、不安と孤独の中に仮設に取り残されている人がいたら…。何かできることがあるのではないだろうか、と考えて、東灘区から中央区の一部の仮設住宅にチラシまきに行った。その時に中央区のある仮設でたまたま出会った50代の女性Aさんは、その仮設住宅でメドがない最後のひとりであった。建設戸数730戸の広大な仮設住宅の中で、その時住んでおられたのは10人もおらず、Aさん以外の人々は8月半ばには全員転居することになっていた。しばらく立ち話した後、7月の仮設住民連帯の集いの案内チラシを手渡してその日は別れたが、彼女は7月の集いに来てくれた。そこからAさんの仮設脱出のお手伝いが始まった。1ヶ月ほどの間、Aさんの行政交渉につきあい、家さがしにもつきあった。今頃は新しい生活をスタートさせておられることだろうと思う。

 「仮設居住者実態調査の会として総括を」という声も、5月頃よりメンバーの中からあがっていた。仮設解消も進み、実質的に仮設住民がいなくなりつつある中で、これまでの運動を振り返り、今後どうするかということを話し合わなければいけない時期を迎えていた。仮設の最終局面での活動と、総括とを同時並行で行いながら、この半年が過ぎた。来年の1月17日の震災5周年に向けて、会の総括として活動報告書のようなものを出そうと、今作業をすすめている。

 一方で、最近では、災害復興公営住宅に移った人から、様々な相談が会のメンバーに寄せられているという。「寂しい」「仮設の時のほうがよかった」「入居5年後の家賃がどうなるのか」等々である。「あちこちで『5年目の検証』という言葉を聞くけれど、震災はまだまだ終わっていない。」というのがおおかたの一致した見方である。

 今後しばらくは、毎月第1土曜日の夜は総括としての報告書作成の作業を継続し、第3日曜日の「集い」には、公営住宅に移った人、民間住宅へ一時入居中の人、その他、仮設に入れなかった人などさまざまな立場の人に声をかけて、参加してもらおうと話している。震災の問題は多岐にわたり、拡散しつつあるが、どこに焦点を置くのか、これからの話し合いによるだろう。

(真)


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