「上筒井から」Vol.3(Feb. 1999)

震災復興委員会活動報告

わいわいランチ(給食サービス) - - - 夜回り準備会


わいわいランチ(給食サービス)

「おべんとうとてもおいしかったですよ。ありがとうございました。XX 合掌」

 たどたどしく一生懸命に書いて下さったこんなメモを、お届けした翌週に引き取った空き容器に入れておいて下さったのは、訪問看護ステーションからの紹介で配食させて頂くことになった九十三才という高齢の方(女性)です。

 あの方がこれを…とそのメモを見たとき、胸が詰まりました。 あらかじめ“お一人暮らしでほとんど寝たきりの方、玄関の鍵はかかっていないので声をかけてそのままベッドの傍までお弁当をお持ちする”と引継ぎを受けていました。

 初めて私が伺ったとき、じっとベッドに横になっておられ、傍に小さな木の丸椅子が一つ、その上に薬がのっていてお弁当はその横においてほしいと言われます。上を向いたまま、それでも口調はしっかりと「空き容器は向こうの部屋、財布はどこそこ」と目でさししめされます。寝付いてはいらっしゃるけれど、しっかりして居られるのでおっしゃる様にすれば良いとも聞いていましたが、初めてのお部屋で置き場所がわからずうろうろと手間取った私に帰り際「お時間取らせてすみませんね」とおっしゃってくださったのです。

 このまま帰って良いものか、どのようにして食事されるのだろうと思いましたが、午後にはヘルパーさんが来られるのだろうと心を残しながら次に待っていてくださる配食先に急ぎました。その後緊急入院されたと連絡がありましたが、早く良くなって又お弁当をお届けできればと思いながら、果たして退院なさるのが良いことなのか、少なくとも病院なりホームなりのほうが看護が行き届くのではないかと思われ、何とか良い結果になるようにと願わずにはいられません。

 私達が配食している先は高齢でお一人暮しというところが多いのですが、お目の不自由なご夫婦や、奥様が寝付いておられ、それをやはり高齢のご主人が看護なさっているというお 宅もあります。他人事ならず身につまされます。 車椅子でのお一人暮しで、先程の方のように私達がテーブルまでお持ちして、お弁当箱や汁物の器のふたをあけて、すぐ食べれるようにセットするお宅も何軒かあります。

 いまだ仮設住宅にお住まいの方々、そこから復興住宅に移られた方、全壊した自宅の跡にコンテナハウスを購入して住んでおられる方などなど、皆さんいろいろな事情を抱えていらっしゃいます。 週に一度あるいは二度のわずかなふれあいですが楽しみにして待っていてくださり、玄関先でつい話が長くなり、あわてて次の方のところに急ぐこともよくあります。

 それにしてもボランティアの方、特に車を運転してくださる方が増えれば、もっとたくさんの方にお届けできるのではないかと思います。昼食時の一時間余り、どなたかお手伝いいただけませんでしょうか?

(征)

  わいわいランチ


夜回り準備会(仮称)

 これをお読みのみなさんは、夜回りについてどういうイメージをお持ちでしょうか。状況から見て暗く厳しいイメージを持ってはいませんか?今回は、少し視点を変えて「夜回りってこんな感じ」を、私自身の目で見た感じでご紹介いたします。ちなみに、街へ出る夜回りは、毎月第二・四土曜日にやってます。集合時間は18:00です。参加人数は、その日によって若干変わりますが、だいたい4・5人というパターンです。

 私の場合、住まいが神戸ではないので、17時ぐらいに、最愛の息子に別れを告げて家を飛び出します。(笑)神戸YWCAにつくと、いつもN氏とT氏(YWCAの職員ですが)が来ておられて、とりとめのない会話を交わしてることが多いです。うだうだと楽しい話をしているうちに、もう何人かが来て、「さぁ、はじめましょうか」ということでミーティングが始まります。ミーティングはR氏が中心になって始めるんですが、彼はなかなかのやり手で、笑いを交えながら進めていきます。まず、この一週間の動きについての報告から入ります。私たちと関わりのある人の状況、中山手教会にある冬を支える会関係の話、西宮事件の話、大阪の状況の話やらと、結構中身の濃い話をします。その報告を聞きながら、自分たちの思うことをディスカッションしたりするんですが、「何で、そうなるねん」「何か、変よね」とか頭の中を疑問符が飛びまくってる状況よくなります。

 ここ最近の話では、大阪のある学校の周りにおられる野宿されてる方を、行政が強制代執行という形で追い出したケースのことなどがあります。確か12月は人権週間があったかと思うんですが、「人権を大事にし、差別のない社会を」などのスローガンを学校が掲げてるその横で、野宿されてる方を強制的に排除するというようなことがありました。これって皮肉以外のなにものでもない、悲しくて笑っちゃうようなことが平気で行われているんですよね。「何で、そうなるんでしょうね・・・」そうこうしているうちにも、時間がどんどんと過ぎていき、 「早く出なきゃ!」ってことになり、その日のグルーピングが始まります。

 私たちの夜回りをしているエリアは、新神戸駅の下を流れる生田川から東の地域です。そのエリアを、二つの班に分けて夜回りに出ることがほとんどです。しかし、土地勘のある方はおわかりのとおり、非常に広い範囲を非常に少ないメンバーで回りますので、少し無理があります。また、三宮のような歓楽街はありませんから、エリア内のいろんな場所でバラバラで野宿されている状況ですので、すべてを把握することはできません。ですから、まだ私たちが知らないところで、野宿をされてる方が大勢おられる可能性もあります。阪神電車の駅周辺を回るコースと、某フェリー乗り場から回ってくるコースに分けて回るんですが、新しい情報があれば、そのコースに組み込み寄ってみるという感じで回ってます。 最近は寒さが厳しいので、インスタントの味噌汁、お湯を入れたポット、毛布などの物資や最近の状況についてのお知らせチラシ、更生センターの案内図などを車に積み込み、やっと出発になります。一応19時出発を目指してますが、なんだかんだで遅れることが多いです。

 その日私は、某フェリーセンターから、その北側の公園を回ってくるコースをR氏と二人で回りました。その某フェリーセンターは、今年の三月に閉鎖が決まってるところですが、24時間開いていて、寒をしのげる場所ですので、冬が近づくにつれ人も増えており、行くたびに新しい方と出会うことができます。今回も、初めてお話しできた方が、5人おられました。最初は一様に、「あんたらは誰?」というような感じですが、うまく波長が合うと、いろんな話を聞かせていただけます。この日は肩こりのひどい方もおられたので、R氏が肩をもんであげてるうちに、気分もお互いほぐれてきて、用意したみそ汁を飲んでいただきながら、楽しく話もできました。でも、厳しい話もこれまた多く、「仕事があればなぁ。仕事がしたいわ」というのが心に残りました。話の中で「何とか 食事はできてるよ」とか、「何とかやってけるから大丈夫やで」とか聞くと、とりあえずはホッとしますが、この先はどうなるんだろうと考えると、どうにもやりきれない気分になります。本当は、私が思ってるより本人さんの方が、心配されてるんでしょうが。そのあと公園によってみると、時間も遅いため、もうベンチで寝てはったので、お知らせチラシを置いてその日は帰りました。

 YWCAに帰ると、時間は22時すぎ。もう一方の班も既に帰ってきており、その日の夜回りの様子についての報告ミーティングです。報告といいながら、主観を交えたディスカッションになることも多く、時間はどんどんと過ぎていき、時間が23時を回ると、「あぁ、こんな時間や」といいながらミーティングは終了し、その日の夜回りは終了となります。  というような感じで、夜回りをやってます。少しは雰囲気が分かっていただけましたでしょうか?もしよろしかったら、一度ご参加下さい。お待ちしております。

(光)

  夜回り準備会


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