「上筒井から」Vol.2(Nov. 1998)

震災復興委員会活動報告

わいわいランチ(給食サービス) - - - 夜回り準備会


わいわいランチ(給食サービス)

 私が、給食サービスのボランティアを始めてまもなく2年になる。当初は火・木の週2回、午後に私たちの調理したものを届けていたが、この4月から週5回、月曜から金曜までの昼食時に配食するようになった。毎日の調理という事になるとボランティアでは対応出来ないので、Yのキャフェテリアで調理したものを、私たちはお弁当箱に詰め合わせ、配達するというように変わった。

 11時、状況シートにより配食先を確認、お弁当箱を洗い、詰め合わせて、11時40分頃に出発する。配食して12時半頃Yに帰り、当日の配食先の様子や引き継ぎ事項などを状況シートに記入して終了となる。配食先は、殆ど病弱な方、お一人暮らしのお年寄りが多いので単にお弁当をお届けするというだけでなく、出来るだけお話をさせて頂き、その中で困って居られる事があればお力になりたいと思っている。

 7月の復興委員会で配食先の緊急連絡先や、どのような福祉サービスを受けて居られるのかといった事を聞き取り調査し、担当の民生委員なども把握して、それぞれの方のデータを整理することになった。又、配達時間や料理の内容、量、容器などについてアンケートを実施した。今後の参考にさせて頂きたいと思っている。

 現在、1食400円の代金で、お一人週1回の配食ということになっているが、体調の悪い方には週2回お配りしている。もっと回数を増やして欲しいという希望もあるが、それには財源の確保と、ボランティアの人数を増やすことが必要になる。

 4月以降、2度ボランティアのミーティングを開き、状況報告や問題点などを話しあった。その席で、このグループの名称を「わいわいランチ」とすることに決定した。色々の問題を乗り越えて、この「わいわいランチ」の活動が花開くよう願っている。

(征)

  わいわいランチ


夜回り準備会(仮称)

 いつの頃からだろうか。「野宿者」と呼ばれる人達の存在を知るようになったのは。

 神戸のベッドタウンと呼ばれる町で育ち、月に一回程買い物や遊びで出かける三宮の駅のプラットホームの下で出合った野宿をしているおっちゃんの存在を子どもながらに気にし始めたのは、おそらく小学校5〜6年生ぐらいだと思う。古新聞の上にすわりこみ、空き缶を前に物乞いをしているおっちゃんの姿を見て、素朴に「なぜこんなことをしないといけないのだろう」「働く気はないのだろうか」と思い、親にその疑問をぶつけても「しかたないのじゃない?」とあいまいな答えしか返ってこなかった。それから数年後、横浜で「中学生による『浮浪者』殺傷事件」が起き、社会的に問題にされるわけだが、あれから十数年、日本の社会が根底にかかえる問題は何ひとつ解決されていないと思う。子どものころ、出会った物乞いをしているおっちゃんは、今、どこで、何をして、くらしているのだろうか。

 『そんなことをやらずに、まず自分が路上生活から脱することを考えるべきではないか、と言う人もいるかもしれない。通行人は迷惑をしている、という人もいるだろう。しかし、この問題がこの社会のあり方自体に深く根ざしている以上、就労構造、福祉政策上にとどまらず、家庭や地域社会の役割にいたるまで、各分野での大きな変革がない限り、人々は次々と失業し、住みかを失い、路上へと追い込まれるであろう。』-新宿ダンボールハウスの人々-稲葉剛著

 つまり生き抜くための「闘い」の輪に加わり、同情やほどこしではなく、共に考え、共に行動することが「夜回り準備会」(仮称)に求められていると思う。人は誰もがしあわせに生きたいと願っている。願っているのに「野宿者」をとかげのしっぽのように、切り捨てていく日本という社会に私たちは無力さをおぼえてしまう。だが、このままでいいのだろうかと私は考える。まだまだ課題は多く、困難さはありますが、問題解決のために取り組んでいきたいと思いますので、みなさんも一緒に考え、活動を作っていきませんか?

(大)

  夜回り準備会


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