「上筒井から」Vol.11(Nov. 2001)

<特集 国連社会権委員会最終見解>

社会権規約委員会における
第2回日本政府報告書審査に基づく最終見解の意義


 日本政府は1976年に経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(以下、社会権規約)を批准し、そこに明記されている社会権を確保する義務を負いました。それら社会権が本当に守られているかどうかを国際的に明らかにする方法として社会権規約が設けている実施措置は報告制度だけです(自由権規約には国家と個人による通報制度があります)。この報告制度は、国家が定期的に社会権の実現状況を国連の関連委員会に報告をし、委員会との対話を通じて問題点や法律の欠陥を明らかにし、人権状況の向上に寄与することを目的とするものです。
 日本政府はこの報告書を、1985年に社会権規約委員会ができて以来初めて1998年に提出し、2001年8月に審査を受けました。この非協力的な態度の背景には、社会権規約の起草過程で想定されていたように、社会権の実現は「漸進的」でよく、国家は「努力義務」あるいは「促進的義務」を負うに過ぎないという表面的な理解が根強くあるものと思われます。裁判所が社会権規約上の権利は個人が裁判所で援用できる権利ではないとくり返し述べているのも、この理解によるものです。
 しかし日本の報告書審査を受けて委員会によって採択された最終見解には、被災者に対する措置やホームレス対策など、積極的な措置をもって権利の充足をはかり、また国内人権機関や法曹関係者の人権教育を通じて社会権の促進に努力すべきであるとの勧告と並んで、社会的弱者に対する差別的な法律の廃止(尊重義務)や社会に根強く残る差別からの保護も提言されています。また委員会は、「規約の規定に直接的効力がないという誤った根拠」に基づく司法判断に懸念を表明しています。
 このように最終見解は、社会権規約は決して国家に対して、徐々に達成に向けて努力すべき義務だけを課しているのではなく、直ちに実施すべき尊重、保護の義務をも多面的に課しているということを改めて明らかにしました。社会権が裁判で援用できない権利である、という単純な区分けも間違いであると批判されました。
確かに社会権規約委員会をはじめ、人権条約の実施機関の判断や見解には法的な拘束力はありません。しかしこれほど国際的な世論や信用に神経質な日本が、社会権規約委員会が国連の名において公表した懸念や勧告に無関心ではいられないという意味で、その実際的な意義はかなり大きいものがあります。また残念ながらこの勧告などの実施を監視する制度は社会権規約委員会にはありません(自由権規約委員会は個人通報に対する判断をフォローアップする制度を持っています)。したがってこの最終見解をどのように使っていくかは私たち市民やNGOの努力にかかっています。
 いくつかの裁判例を別にすれば、阪神淡路大震災後の居住権への関心の高まりを契機に、社会権規約の存在が一般に認識されるようになってきました。この認識をさらにすべての社会権分野に拡大するために、あらゆるレベルの行政・議会・裁判所に対してこの提言の実施を求め、社会権の権利性を主張していくことによって、2006年に提出されるはずの次の報告書に向けて活発な国内的議論を引き起し、日本の人権状況の向上に役立てていきたいものです。

甲南大学 N. I.


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