「上筒井から」Vol.11(Nov. 2001)

<被災者生活復興調査の会>

被災者アンケート調査報告(2)


 前回は「問11抄」として、私たち被災者生活復興調査の会の行なったアンケート調査の自由記述欄から摘記した震災被災者の声を掲載させていただきましたが、この間、私たちはそのアンケート調査を基に、行政(兵庫県・神戸市)に対して要請書を、参議院選挙・兵庫県知事選挙・神戸市長選挙に際しては、各立候補者に対して公開質問状を提出しました。要請書〜公開質問状の展開は現在進行形であり、その報告は他日に譲りますが、果たして私たち被災者の声はよく聞き取られたのであろうかとの危惧がいつも並行してつきまとってきました。何をどう言っても致し方ないとの思いが震災後6年余ということなのでしょうか。被災者は孤独の内側に閉じこもり、経済的にか、身体的にか、精神的にか、あるいは、それら全部においてか、次第に破綻していくのをどうすることもできずにいます。孤独という防御が間違いであるとの批判はあるにはあるでしょう。しかし、被災者の声を最もよく聞き取れるのは、やはり、被災者自らなのだと思いみなす他に理路は成立しないというのが現在の状況なのです。あたかも他の孤独をよく感じ取れるのは、自らの孤独をたぐってその底に降り立とうとする瞬間以外にはない、というふうに。
 9月15日、私たちはそれまで月に一度、神戸YWCAで部屋を借りて震災被災者の集いを呼び掛けてきましたが、会場を代え、神戸市灘区の灘北第二住宅集会所で集いを持ちました。参加者の声を一部ですが以下に紹介させていただきます。
 Aさんの場合、被災したのは兵庫区で、住んでいた文化住宅は全壊。近くの小学校に避難した。身寄りもなく、親戚もなく、行き先も定まらず不安を抱えて避難生活をしていたところ、行政の人が親切に養老院を世話してくれたので、そこに移り住んだ。
 ところが、その養老院はH市の奥の奥にあって、震災で痛めた身体を診てもらうために交通機関がなく、タクシーで通院しなければならないのであった。しかも病院では養老院の人は手続きが厄介なので、それに私には保証人がいなかったからなのでしょうか、入院させるわけにはいかないと言われた。
 養老院は全てが無料で、だから、行政の人は紹介してくれたのであろうが、死んでも行っては駄目だと思う。朝の6時に叩き起こされて、とにもかくにもただ働きを強制させられるのだ。大仕事は風呂掃除と草取りであった。風呂は風呂でも150人は優に入れる風呂である。草取りは草取りで、庭の草むしりとはわけが違う。辺りに家一軒なく、広大な院敷地内外の草ぼうぼうとなったところでの草取りなのだ。
 私は震災で背骨を折って、身障者3級に認定されていると言っても聞き入れてくれない。職員が懐手をして、まるで刑務所の看守のように絶えず見張っている。休むとか、さぼるとか、ちょっと喫茶店で一服するどころの話ではないのだ。ある時、直射日光に打たれての草取りの最中、おばあさんがばったりと倒れた。そして、そのおばあさんはそのまま亡くなってしまった。
 日々の生活が苦しかった。4畳半の部屋でいつも3人位が起居していた。頭をまたいで老人がトイレに行くのです。頭が蹴られることも、相手の身体にぶつかって転ぶことも度重なって、何度、養老院に退院させてくれと申し出たことか。しかし、その度に私の申し出ははねつけられた。養老院にとって被災者は結構な金づるになっていたんだと思う。結局、半年間、泣き泣きその養老院にいた。
 思いあまって、ある日、兵庫区長に直訴して、東灘の仮設住宅に入れてもらった。仮設の人はみんな親切で、病院に付き添って連れていってくれたり、何かと面倒を見てくれていい思い出をたくさん持っている。
 いまは介護保険にかかっている。収入が少ないので、多少ともお金を支払わなければならないのが苦しい。また、来年の6月には家賃の値上がりがあるとのことなので心配でならない。いろんな方面で出費を切りつめたいが、付き合い上、思うようにならないし、思うようにさせてくれない。身寄りも親戚もないのがこの上もなく身に滲みてくる。

(孝)

(*編集註 養老院=養護老人ホーム)


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