「上筒井から」Vol.9(Mar. 2001)

救急車が来てくれない


 私は昨年の春、東京から神戸に移って来ました。東京では山谷に行ってボランティアをしていました。そこで神戸に移っても何かしたいと思っていました。YWCAで夜回りがあることを知り、参加させていただいたのですが、家には年老いた者がいて、夜回りで帰りが遅くなるのを心配するので敢えなくダウン。しばらくガッカリしていたところ、9月になって職員のTさんから、野宿者の方達で入院している人がいるので、お見舞いに行かないか、…即ち昼回り…と誘われました。私はその時、”何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある”(コレヘトの言葉3:1)という聖書の御言葉を思い出しました。

 9月13日、Nさんと二人で初めてN病院へ二人の方を訪ねました。お二人共O公園で野宿をしておられた方です。でも愚かにも私はN病院に行き、院内を見て、こんな病院に入院していたら反対に病気が重くなってしまうと言ってしまいました。(私は東京にいる時、ケアの素晴らしいキリスト教系のホテルのような病院に通院していたのです。)するとNさんは、そんな東京の病院はホームレスの人を受け入れてくれないでしょう。ホームレスの人でさえ入院できる病院と果たして、どちらがいい病院と言えるのか、と言われてしまい、考え込んでしまいました。

 それからは毎週月曜日の午後、Tさん、Nさんと私の三人で昼回りをすることになりました。N病院では、声をかけてこられる方が何人もいらっしゃった事は意外でした。相談内容は退院後の生活の事でした。

 Fさんもそのお一人で、退院後行き先がないので、心配で眠れないとおっしゃっていました。Fさんとは一緒に部屋を探しに行き、部屋を確保、区に申請し、生活保護が受けられるようになり、私たちもホッとしました。退院後一度だけお訪ねしましたが、その後、どうやって生活されているのか気になるところです。が、人と時間が足りなくて様子をお訪ねすることが出来ない状態です。

 また、Hさんは、転んで動けなくなり、4日間も公園で寝たきりなので、毎週月曜日更生センターで医療相談があるので、迎えに行きましたが、とても私たちの手におえないので救急車を呼びました。仲間の方達は「救急車を呼んでも来てくれへんで」と言っていましたが、YWCAの名前を出したので救急車は来てくれて、病院に行きました。私は付き添っていったのですが、4日間動けない状態だったので、すごい悪臭がしました。けれど救急隊の方達や病院の方達はイヤな顔一つせずにHさんを看てあげていらっしゃいました。私はとても感動しました。ここにも神様の愛があると思いました。
 Hさんは入院になり、見届けて帰宅したら8時を過ぎていました。私は主婦ですから、家族の夕飯の事も気になっていたのですが、Telで夫に事情を話すと、きちんとした理由がある時は遅くてもいい、それよりも中途半端にして帰ると、その方の事が気になるので、きちんと見届けてから帰る様にと言ってくれました。間接的に私のやっていることを支えてくれる夫に感謝しました。

 もっともっと昼回りに私の時間を費やしたいですが、自分自身の限界も知り、そして神様と家族を大切にした上でやらないといけないと思っています。昼回りは私の生きがいです。日野原重明博士は、”生き生きと生きるということは、自分のためだけに寿命を費やすのではなく、他人に与える喜びを知ることではないかと、それが生きがいになる”とおっしゃっています。
 これからも細く長くやっていく事が出来たらとねがっています。


(2001年3月・信)


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