上筒井Vol.8(December 2000)

入院してみて気付かされた事


 この夏、7月末の土曜の夜10時頃、急にひどい腹痛になりました。
 いつもは下痢止めの薬で治まるのに、この夜は次第にひどくなり、吐き気もしてきます。翌日は日曜だから、朝になったら病院に行くと言うわけには行かない。痛みの原因が判らないので不安になる。2時まで我慢したが、これ以上ひどくなって電話も掛けられなくなったら困るので救急車を呼ぶことにしました。

 夜回りしている時、野宿している人から調子が悪いと訴えられると「うんとつらくなったら救急車を呼ぶ」ことを勧めたりするのですが、一人っきりで寝ていてひどく具合が悪くなると、公衆電話まで行きつくのも難しいものです。(最近は携帯電話が増えたので公衆電話も以前より少なくなった。)
 一人暮しはヤバイときがあるよなあと思い、孤独死などと言う言葉が頭をよぎります。もし急に手術することになって、「タオル、三角巾、湯のみ、着替え、洗面道具その他色々を用意しなさい」と言われたらどうしよう。前もって救急車に持ちこむ事もできないし、独り暮らしだから、誰かに持ってきてもらう事もできないのです。

 病院に着いて、鎮痛剤を打ってもらうが効きません。レントゲンでは原因は判らないとの事。もう1度鎮痛剤を打ち点滴をし「帰って良い」といわれるが、まだ痛むので、朝まで休ませてもらいました。
 野宿してる人が、救急車で運ばれたが点滴1本打って帰らされたと良く聞きます。なるほど、こういうことかと納得しました。


 僕の場合「もう1度検査に来なさい」と言われました。野宿している人の場合、1度帰って、翌日病院に行くと「保険証は?」と聞かれます。ない、と答えると、全額自分で払えるか聞かれ、途方にくれるのです。(入院、救急以外いつもそうです。)
 本当は、治療費のない人を治療する方法はあるのですが、普通はここで終わってしまう。その為に、病気を悪化させてしまう人が少なくない。そんな事を思いながらバスが動き出すのを待って帰りました。
 

 8月末、また同じような症状になったので、診療所で、泌尿器科のある病院を紹介してもらい、入院する事になりました。入院の手続にも、手術の同意書にも保証人が必要です。保証人を頼むと言うのは、なかなか難しいものです。

 この件でも、野宿している人は困ってしまいます。保証人になってくれる人がいない事が多いのです。なかには保証人が要ると言われただけで途方にくれ、治療を放棄する(病院を出てしまう)人もいます。親族以外の者が「手術をして、事故があっても文句は言わない」という同意書の保証人になるのは難しいことです。
 もし、僕が保証人になって、医療事故があった場合、病院は同意書を楯に取るでしょう。他方、親族が現れて僕の責任を問われたら、返事に困ります。

 これまで病院訪問を続けてきて、しばしば「お金を大事にするように」と言って来ました。
 野宿していた人が入院すると、普通は生活保護の医療扶助で治療は現物給付されます。そのほか、1ヶ月に24000円の日用品費が支給されます。これをなるべく始末する様に言うのです。それは「退院後の住居を確保するのに、手持ちのお金があったほうが良いから」。けれども、アパートを契約する段になって『幾ら残っている?』と聞くと、ほとんどの人が「残っていない」と言うのです。
 「どうして残さないのだろう」と思ってきたのですが、自分が入院してみると、残らないのも道理だとわかりました。
 重症の時は寝たきりですからお金を使う事は少ないのですが、やや回復してきてテレビを見ると1時間100円。洗濯機を回すのに100円乃至200円。乾燥機に200円。売店や自販機で飲み物を買えば120円。僕の入った病院は、お風呂は無料でしたが、350円払わなければ入れない病院もあります。退屈して雑誌や本を買うと・・・。煙草を吸う人はたばこ銭もいります。
 ちなみに、昔の病院は洗濯機は無料で、屋上に物干し場があったものですが、最近はプリペイドカードで洗濯機も乾燥機もテレビも動くようになり、何でも有料になってきました。手術に必要なタオルなども以前は医療費だったのに、今は自己負担になっているようです。

 以前、入院中のYさんが「金を貸してくれ」と言うので「使いすぎだ」と注意すると、「毎日洗濯するので、洗濯代がかさむ」と言われたことがありました。その時僕は「毎日は贅沢だ」と下着や洗剤を届けて洗濯の回数を減らす様に言った事があります。
 しかしいざ自分が入院してみると、パジャマの上下とパンツだけで洗濯機を回してしまいました。代りのパジャマが1枚しかなければ、もったいなくても洗濯するしか仕方ないわけです。家族が持ち帰って洗濯してくれる人には必要のない出費です。さらに自分で洗濯できない人は、リネン会社と契約する様に言われ、高いお金を払わなければならなかったりします。


 入院していると、家の事が心配になります。野宿している人の場合は、自分のテントや小屋を持っていれば、壊されていないか、荒されていないか、大切なものが盗まれていないか、誰か知らない人が住みついていないか、心配の種はきりがありません。戻ってみたら撤去されてしまっているかもしれないのです。いらいらする訳です。

 僕は帰る家があるから良いけれど、退院しても帰る家がない場合は、大変な不安です。
 仕事が沢山あった頃でさえ、すぐには仕事がみつからないだろうと言う心配がありました。今は、日雇い仕事はほとんどないので、退院したらたちまち、野宿にもどるほかありません。蓄えがない人は、給料を貰うまでをすごす事ができないので、日銭の入る仕事をせざるを得ないのです。つまり、自立できるまでの生活保障が必要です。
 それで、僕らは7号に書いたように、病院訪問をして退院後も継続して生活保護を受けられるように、住むところを確保するお手伝いをしているわけです。その時、退院する時期に合わせて部屋の契約をしたいので、退院の予定を、お医者さんに聞いて欲しいと頼むのですが、なかなか上手く行きません。これも、自分が入院してみてなぜかわかりました。僕の場合、退院は2日前までわからなかったのです。
 僕の治療というのは、衝撃波で結石を割ったのですが、割った石が尿から出てしまえば良いが、残っていると再度衝撃波を当てる。又検査する。これを繰り返し、ある日「では明日退院」といわれた訳です。お医者さんに退院予定の日を聞くようにと言うのは、ずいぶん無理を言ってきたのだなと反省しています。

 今回は、野宿している人の医療全体の問題について触れたわけではありません。自分が入院してみて、気付かされた事を書いてみました。要するに、僕はちっとも理解していない!もっと良く聞かなければ!と反省しているのです。

(2000年12月・耀)


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