「上筒井から」Vol.12(March 2002)

釜ヶ崎今宮中学


 1998年「釜ヶ崎の今宮中学と萩之茶屋小に野宿者に水を掛ける装置がある」と聞き、見に行った。学校南側の路上に約70人がテント生活をしていたが、そちらに向けた撒水パイプが設置されていた。校長を始めとする大人が、仕方なく路上で暮らしている人に水を掛けて追い払うような姿は生徒達にどんな影響を与えることだろう。

 事実、生徒達は校舎から空缶等を投げつけ、10月にはテントへの放火もあったため、テント住民は自治会を結成し、大阪市に対して要望書を提出した。その第1項は「強制追い立てをしない」事を求めていた。以前から排除の動きがあったからだ。

 98年8月に地域のボスやPTA会長、校長が建設局に『環境浄化』を要望した。道路を使えるようにして欲しいといいながら、具体的には『道路を閉鎖する』「テントを張れなくする」事まで提案しており、排除が目的だった。放火を機に自治会が市に要望書をだすと、逆に校長やPTA等は市に対して解決(=追い出し)を要望した。

 12月8日大阪市は小屋等の除去命令を出し、弁明は10日までにと通知した。12月10日、自治会は遠藤弁護士を代理人に「生存権に基てここに住んでいます」と言う弁明書を提出し、口頭弁論の機会を求めたが、翌日弁明の機会がないまま「除去期限は17日」と言う命令がでる。
 13日、各人は生活状況を記した陳述書を作成、『仕事がなくやむを得ずテントで暮らしている』と訴えた。
 市は24日までに除去しなければ、28日に行政代執行を行うと告知し、25日に50人の市職員が代執行令書を交付、野宿者28人は大阪地裁に居住権や生存権(人権規約11条・憲法25条)を根拠に執行停止を申し立てたが、地裁は執行前日の27日に却下。自治会は午後9時に準抗告したが、高裁は深夜11時に却下した。
 28日に追いたては完了した。後日、強制退去させられた人々は大阪地裁に国家賠償請求を訴えた。

 社会権委員会の最終見解はこの経過を重視し、強制立ち退き、とりわけ仮住まい場所からのホームレスの人々とウトロの人々の強制立ち退きについて懸念を表明した.
 裁判所が簡単に異議申し立てを却下すると異議申立権は無意味になる、仮の立ち退き命令が実際上は確定命令になってしまう。これは委員会が確立した指針に違反すると指摘し、委員会は締約国が、立ち退き命令、特に裁判所の仮処分命令を一般的意見4と7(註)に示された委員会の指針に一致させるよう勧告した。

 しかし、社会権委員会が8月末に最終所見を出した後、11月8日大阪地裁は追い立てられた人々の訴えを棄却し、社会権(居住権侵害)に関しては次のように述べた。

 (1)社会権規約の11条1は政治的責任を宣明したもので、個人の権利ではない。(2)一般的意見は勧告的なもので法的拘束力を持たず裁判規範にはならない。一般的意見7に反しても、違法ではない。

 委員会は、裁判官・検察官・弁護士の人権研修を充実させるように求めているが、日本の司法の「回答」は、国内法になければ(社会権規約は)無視するという姿勢で答えた。

  自分達の血を流して獲得した権利は、大切にする。権利を絵に書いた餅にするか、食べられる餅にするかは、わたし達が実際に大切にするかどうかにかかっているのだろう。

 先週の夜回りでも、「3月にイベントがあるから出て行くよう」市の人に言われたと言う訴えを聞いた。明日、話し合いをする予定だ。(2002:2:15 耀)

註 社会権委員会が、規約の意味を明らかにしたもので、一般的意見4は適切な住まいとはどういうことか明らかにしたもの、7は追い立てについての厳格な指針を記したもので、当事者との真摯な話合いや、代替措置の必要性を述べている。



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