「上筒井から」Vol.8(Dec. 2000)

炊き出しのお手伝いをして



 先日、炊き出しのお手伝いに参加した。土曜日の朝9時集合。朝寝坊の私は起きれないかもしれないという不安を周囲に与えつつも、まずは時間どおり到着。早速準備にとりかかった。メニューは肉じゃがとご飯。300人分を用意した。300人分っていうとお米が30kg、ジャガイモ50kg等々普段お目にかからないような量である。結構すぐにできるものかと思っていたが、皮むきなど結構時間がかかった。そのうえ普段の運動不足がここにきて発覚。午前中立ち仕事をしただけで私はふらふら。ところが,まわりで働いている私の親の年代の人々は、結構平気そうだったりする・・毎日パソコンに向かっている生活がいかに不健康なものかと思い知った。

 配食直前12時前無事すべての用意が整い、配食を始める。ご飯をよそおう役をした。後で足りなくなったら困るからということで最初は気をつけていれていたのが途中からどんどん気が大きくなって、ついいっぱい入れてしまったりしたが無事すべての人にお昼ご飯を食べてもらうことができた。当日は雨が降っていた為、若干集まった人が少なかったと言うことだが、それでも280人前後の人が食事のために雨の中、出てこられたのだった。

 炊き出しのお手伝い自体はその後の後片付けを経て無事終了したのだが、ひとつ、今でも非常に心に残ることがある。

 配食を終了し、ボランティアも食事をしていた時のこと。私の向でご飯を食べていた男性が、何かの広報誌を読んでいて「この数字間違ってるわ。」とつぶやいた。が、私には私に話しかけられていると思い、何も悪気はなかったのだが、つい「あ、本当ですか」と答えてしまった。すると、「本当かとは何だ。嘘言っているというのか」と言われてしまった。別にその人が嘘をついていると思ったわけでもなかったし、本当につい口を付いて出た言葉だったのだが、その人に不快な思いをさせてしまった。炊き出しとは直接関係がないのだけど、何気ない言葉が人を不快にさせてしまうと言うことを実感した出来事だった。今後は使わないようにしようと反省している。

 炊き出しのお手伝い、しかも毎回でなくて単発。行って、ご飯作ってそれで終わりって思っていたが、いろいろなことを考えさせられた。まずひとつは、炊き出しと言う活動は基本的には根本解決でないのだということ。しかし根本的解決ではないけれども、必要性がとてもあることである。雨が降っているにもかかわらず、これだけ多くの人々が集まっていると言う事実。今後私達がどのような活動をして行くべきなのだろうかということを考えさせられた。

 炊き出しの日が終わって2週間ほど後から、通勤で使用する駅の出口付近のベンチで寝ている人を見かけるようになった。今まではあまり気に止めていなかったのだが、とても気になり毎日確認するようになった。ある日その人がいなくなって、更生センターにでも行かれたのかなぁと思っていたら、また戻ってこられていた。この前は持っていなかったダンボールで今度は身体を囲むようにして寝ている。これからどんどん寒くなるのに、どうやって寒さをしのいで行くのだろうと思わずにいられない。そして根本解決を目指すには何をしなければならないのかを、そしてそれを実現させる為にはどうしたらいいのかを一刻も早く探さないといけないと思った。

(2000年12月・R. M.)


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